尾野原口---塩見峠 ---鍛冶屋川口  20070304日  晴れ
   
前回は紀伊田辺駅から稲葉根王子を経て滝尻王子まで歩いたが、今回は塩見峠越えで鍛冶屋川口まで行き、そこから中辺路町に入るコースを歩く予定だ。富田川沿いに遡る古くからのコースに対して口熊野といわれた田辺市から熊野の霊域のはじまりとされる中辺路町までを最短で結ぶルートとして、主に近世になって開かれた道だ。
3月4日早朝に伊勢市を出発して、鶴橋からJR大阪環状線で天王寺に行き、9時49分発くろしお7号で紀伊田辺に着いたのは11時43分。田辺駅から長野方面行きのバスは約1時間待ちなので、時間節約のため、タクシーで古道の登り口付近のバス停まで行った。下三栖から県道218号を通る部分はタクシーの車窓からながめて省略(2100円)。尾野原口のバス停に12時7分に着いて、県道沿いの古道入口を入った(12:11) (写真)。すぐに長尾坂登り口の石仏に着いた。そこからはかなり急な上り坂で、汗びっしょり。とても3月上旬とは思えない陽気なので(20℃)、まいった。この道もそれほど長く続かなくて20分ぐらいで県道218号に出た。そして道標に従って再び脇道にそれ、水呑峠に向かった。途中関所跡と書いた道標があったが(13:03)、他には何もなかった(写真)。このあたりは簡易舗装の道。周辺は梅林が広がり、はるかかなたに紀伊の山と海が見えた。梅の花は2週間前は満開だったが、もうほとんど散っていた。そしてこの陽気に誘われてもう桜の蕾がふくらんでいた。ひるね茶屋を過ぎ(13:15)、水呑峠に着いた(13:19)。このあたりは湧き水が豊富で茶屋と社があり、旅人の休憩所だったとのこと。次はお滝さんに向かった。簡易舗装の杉林の道を10分ほど行くと説明板があったが、どこにも滝らしきものは見えない。雨のときだけ滝が現れ、素晴らしい景色が見られるそうだ。でもこんなところ、雨の日には来たくない。次の目的地は捻木の杉。やっと石畳の道に来たと思ったらすぐ大きな変てこりんな格好をした木が現れ、その根元には役行者像と石仏があった(13:48)。ここでお菓子と水分補給をして小休止。次は塩見峠に向かった。石畳の道は捻木の杉付近だけ。舗装の道を右折して山道に入っていった。でもその入口に進入禁止の立て看板があり、木が横倒しになっていて、入れないようになっていた。しかし、道標の示す方向は明らかにこの進入禁止の山道の方向をさしている。しばやく考えた末、この地道の杉林に囲まれた道に意を決して入っていった。だんだん道が狭くなってくるし、荒れているし、草で道がわからなくなっている所もあった。不安でどうしようかと思いながら歩くこと20分余。やっと古道の道標に出会いほっとした(14:14) (写真)。もうすぐ塩見峠だと思って歩いたがなかなか峠にたどり着けない。結局中間の道標からさらに20分ほど不安な道を歩いてやっと明るい頂上、塩見峠に着いた(14:34)(写真)。あの道ではこの峠を歩く人はほとんどいないのだろう。この日は一度も古道歩きをしている人に会わなかった。ここからは田辺の町と海が見えるのでこの名(塩見)が付いたらしい。この先は舗装された林道をただただ下るだけだった。途中で手書きの古道と書いた立て札があったが、そのあたりを探しても古道の入口はわからない。説明の地図によると道は荒れていて歩けないときは林道を行くように書いてあった。やがて民家が数件あるところに来た(15:19)。民家の人に尋ねたら、「覗橋まで20分ぐらいでしょう。」これなら15時49分の鍛冶屋川口からのバスに乗れるかも知れないと思い先を急いだ。国道を行きかう車の音がして覗橋に着いた(15:37)(写真)。桜がきれいに咲いていた。覗橋ふもとの一里塚を見て鍛冶屋川口のバス停に着いたのは15時41分だった。予定より早いバスに乗り、田辺発16時41分のくろしお30号で、天王寺に18時31分着。鶴橋を18時53分の近鉄特急に乗って宇治山田に20時41分に着いた。思ったより早く帰れたし、疲れもなかった。

 

長尾坂〜水呑峠〜捻木の杉
 熊野参詣道は、熊野三山への信仰の道として、多くの人々が難行苦行を重ねながら歩いた道である。
この付近から水呑峠(水ヶ峠)まで続く約16町の険阻な坂を「長尾坂」といい、南北朝時代に熊野中辺路が塩見峠の道に移るとともに熊野への要所となっていた。
江戸時代にはこの長尾坂の途中に和歌山から21里にあたる一里塚が設けられた。また、この長尾坂の一部には、石畳が残っていて、往時の面影をうかがい知ることができる。
長尾坂から参詣の人々が一休みしたといわれる水呑峠を過ぎて、槇山の中腹で中辺路町境に近い熊野道沿いには、周囲約6メートル、高さ約20メートルの大木「捻木の杉」がある。枝がいたるところで捻れていて、奇異の感をいだかせ、清姫伝説も残っている。この「捻木の杉」は田辺市指定天然記念物である。

田辺市教育委員会

      
長尾坂
長瀬(長野)の入口から水ヶ峠まで続く長尾坂は、その長さ約16町(1745メートル)、熊野参りの人々にけわしい坂として知られていました。ここは、南北朝時代に中辺路ルートが塩見越えの道に移って、熊野街道の要所となりました。このため、ときには合戦がおこなわれることもあり、応永25年(1418)には熊野本宮の衆徒と守護の畠山氏がこの付近で戦ったことが記録にのこっています。また、江戸時代にはこの長尾坂の途中に一里塚がつくられました。和歌山から21里にあたるこの塚には、松の大木があり、その下で旅人がよく一休みしたといわれています。
平成二年三月

文化庁・和歌山県・田辺市

    
水呑峠(水ヶ峠)
 ここは以前は水ヶ峠として知られていました。このあたりは、その地名からもうかがい知れるように、水に恵まれたところで、熊野参りの旅人が休息するのにはちょうど都合のよいところだったようです。また、茶店があったことも知られ、茶店の壇と呼ばれました。この茶店のかたわらには、昼寝権現(王子権現)とよばれる小さな宮が祀られていました。ここから田辺の城下や湾内を一望することができ、旅人がこの景色をながめながら休息するうちに寝てしまったというようなことから、この名がついたとされています。また、この峠付近には江戸時代中頃まで一里塚があったことが記録に残っています。
平成2年3月

文化庁・和歌山県・田辺市

     
水呑み茶屋跡
 この峠付近(海抜370m)は昔から湧水に恵まれた所で熊野街道を往来する人たちがここで水を呑んだので、「水呑み峠」(水ヶ峠)と言われており、茶屋と王子社(昼寝権現)がありました。言い伝えでは和歌山城にある虫喰い跡の模様が「ちゃやのばば」と読めたので徳川頼宣公が家来に調べさせたところ水呑み峠の茶屋の老婆が熊野詣での旅人を手厚くもてなしているということを聞き褒美をとらせたといわれています。その後、安藤帯刀公が虚空蔵参りの時、茶屋の人の接待に心を打たれ、「さがり藤の木杯」を与えたと言われています。

長野文化資源研究会

     
お滝さん
この滝は普段水量は殆どありませんが、降雨の際は滝となって美しい眺めをつくります。1680年頃の記録には「からいの滝」とあり紅葉の名所であったと記されています。明治41年のは観音菩薩をこの滝の下に祀り、この後、白衣観音を合祀しました。上野区民の信仰が厚く今も有志で観音講を続けています。また滝の周辺の樹木は一切伐採しない方針になっています。

長野文化資源研究会

     
捻木の杉
 ここは、捻木の杉があるため、近世初期から捻木、又は捻木峠といわれ、旅人がよく休憩した場所です。ここから槇山の山腹を縫って約二キロで塩見峠に達します。捻木の杉は、周囲約6メートル、高さ20メートルに及ぶ大木で、これにまつわる伝説があります。
むかし、真砂庄(いまの中辺路町のうち)の庄司の娘清姫が、奥州の僧安珍を追いかけてきて、ここで、逃げるように田辺の町を駆けていくのを見て、腹立たしさのあまり杉の木をねじり、それがそのまま成長したのがこの木だと言い伝えられています。なお、杉の根元に祀られているのは、修験の開祖役行者です。
平成二年三月

文化庁・和歌山県・田辺市

    
熊野古道
熊野は元来神霊のこもる聖地とみられたところで、ここにやがて熊野三山と呼ばれる本宮・速玉・那智の三社が成立し、信仰を集めました。
平安時代後期から鎌倉時代へかけて、上皇、女院をはじめ、貴族や武家の熊野参詣が盛んになり、やがて一般庶民にも広がっていきました。   
その参詣路は、京都から淀川を川で下り、摂津(大阪)の窪津から陸路を南にとって紀伊国に入り、主に海辺のルートを田辺に来て、田辺からは三栖の山越えに岩田の方に出て、富田川沿いに本宮に向いました。その沿道の各所に、九十九王子と呼ばれる熊野の神を分祀した社が設けられ、田辺市内には、芳養・出立・秋津・万呂・三栖の五王子がみられました。
しかし、南北朝時代には、それまでの富田川沿いに遡るルートが、三栖から塩見峠を越える経路に変わり、この中辺路の道が明治になるまで専ら利用されました。
平成二年三月
    
塩見峠茶屋跡
 熊野参詣道が、岡坂を越え富田川に沿うて行く古道から、ここ塩見峠を通る道に改まったのは、南北朝ごろかとみられ、室町時代初期の「国阿上人絵伝」のなかに、田辺・本宮間の難所として「塩見峠」の名が見える。また、応永16年(1409)の熊野速玉大社の文書で、当時悪党共がここに関所を設け、熊野参詣者の通行を妨害したことが知られる。そのころから、西国巡礼が伊勢の方から来て熊野三山に参り、紀三井寺をめざして、よく通るようになった。豊臣秀吉の軍が紀南に攻撃してきた時には、この地方の武士たちはここで防戦したといわれる。
 江戸時代には、茶屋が二軒あり、ここから田辺湾一帯が眺望できて、評判の休憩所であった。塩見峠という名称は海が見えるからで、「熊野名勝図画」や「西国三十三所名所図会」には展望の図が出ている。しかし、明治の中ごろ富田川沿いに車道ができ、やがてこの峠を通る旅人はなくなった。

 

  

   

   

  
西日本JRバス  0739-42-3005
龍神バス     0739-22-2100
明光バス      0739-22-0594
宇治山田--鶴橋(近鉄)  乗車券 1750円 特急券1280円 
鶴橋--紀伊田辺(JR)      乗車券 2520円
天王寺--紀伊田辺(JR)  特急券 2190円