長尾坂
   
長尾坂登り口付近の石仏
付近には苔むした石畳が一部残っていた。
   
案内板から
長瀬(長野)の入口から水ヶ峠まで続く長尾坂は、その長さ約16町(1745メートル)、熊野参りの人々にけわしい坂として知られていました。ここは、南北朝時代に中辺路ルートが塩見越えの道に移って、熊野街道の要所となりました。このため、ときには合戦がおこなわれることもあり、応永25年(1418)には熊野本宮の衆徒と守護の畠山氏がこの付近で戦ったことが記録にのこっています。また、江戸時代にはこの長尾坂の途中に一里塚がつくられました。和歌山から21里にあたるこの塚には、松の大木があり、その下で旅人がよく一休みしたといわれています。