塩見峠からの遠望
  
  
案内板から
熊野参詣道が、岡坂を越え富田川に沿うて行く古道から、ここ塩見峠を通る道に改まったのは、南北朝ごろかとみられ、室町時代初期の「国阿上人絵伝」のなかに、田辺・本宮間の難所として「塩見峠」の名が見える。また、応永16年(1409)の熊野速玉大社の文書で、当時悪党共がここに関所を設け、熊野参詣者の通行を妨害したことが知られる。そのころから、西国巡礼が伊勢の方から来て熊野三山に参り、紀三井寺をめざして、よく通るようになった。豊臣秀吉の軍が紀南に攻撃してきた時には、この地方の武士たちはここで防戦したといわれる。
江戸時代には、茶屋が二軒あり、ここから田辺湾一帯が眺望できて、評判の休憩所であった。塩見峠という名称は海が見えるからで、「熊野名勝図画」や「西国三十三所名所図会」には展望の図が出ている。しかし、明治の中ごろ富田川沿いに車道ができ、やがてこの峠を通る旅人はなくなった。