曽根次郎坂・太郎坂  2006.02
保存のよい猪垣

      

曽根の猪垣   案内掲示板から
峠に向かって左側の石垣は「猪垣」である。
「猪垣」は田畑と山林の境界に石を積み上げて、シカやイノシシなどの侵入を防ぎ、農作物を食害から守るための石垣である。
江戸時代、紀州藩は早くから新田畑の開発を奨励したが、平地の少ない当地方でも、例にもれず山麓の傾斜地を開墾して段々畑を造成した。
問題となったのは水の確保とシカやイノシシなどの被害であった。紀州藩は「猪垣」の築造も奨励したが、藩財政は苦しく、猪垣の築造費用を援助したわけではなかった。そのため篤志家の寄付や地元負担は莫大であった。
農民の血と汗で築いた「猪垣」は、開発により取り壊された所もあるが、熊野参詣道伊勢路の羽後峠や曽根太郎次郎坂の「猪垣」は見事で、旅人の道中日記にも記されている。
[三木嶋(三木里浦)から曽根まで二里余。猪、熊除けに、その所領分、田畑の外へ高さ七尺余、石垣積むなり。]
(「上方道中記」明和4年(1767)4月26日通行 奥州耶麻郡落合村(現・福島県磐梯町)鈴木四郎衛門)