曽根次郎坂・太郎坂  2006.02
行き倒れ巡礼供養碑

   

行き倒れ巡礼供養碑   案内掲示板から
西国三十三ケ所巡礼の旅に出る人は心に悩みのある人や身体に病のある人が多かった。旅人は一生の念願である伊勢参宮を無事終えると、田丸(三重県玉城町)で巡礼姿に改め、熊野参詣伊勢路を南下、曽根浦(尾鷲市)を通行して、第一番札所の那智山青岸渡寺をめざした。
この難所の曽根太郎次郎坂で、急に容態が悪くなる巡礼もいた。村人たちは医者にも診せて看病し、不幸にして死亡すれば、国許へ訃報を出し、地元の負担で手厚く仮葬して、初七日の供養も怠らなかった。
これは江戸後期、文政13年(1830)寅4月、ここで倒れた武州足立郡中之田村(現埼玉県さいたま市)の人の供養碑である。このほか沿道には、甫母峠と熊野市二木島町の国道311号線に近い下り坂に「行き倒れ巡礼供養碑」が残っている。