十丈王子跡
  
この王子社は十丈峠にあり、現在は十丈王子と呼ばれています。しかし、平安・鎌倉時代の日記には、地名は「重點」、王子社名は「重點王子」と書かれています。天仁二年(1109)十月二十四日、藤原宗忠は熊野参詣の途中、雨中に重點を通っています。重點王子の名は、建仁元年(1201)十月十四日、後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家の日記に初見しています。まだ、承元四年(1210)に、後鳥羽上皇の後宮・修名門院の参詣に随行した藤原頼資も、四月三十日に「重點原」で昼食をとり、この王子に参詣しています。江戸時代以降、十丈峠、十丈王子と書かれるようになった理由ははっきりしません。かつてこの峠には、茶店などを営む数軒の民家があり、明治時代には王子神社として祀っていましたが、その後、下川春日神社(現、大塔村下川下春日神社)に合祀され、社殿は取り払われました。