三栖王子跡
下三栖からやっと古道らしい地道に入っていきます。善光寺というお寺の裏手に三栖王子跡はあります。
   
三栖王子跡 案内板から
三栖の地名は藤原為房の日記、「大御記」にみえます。為房は永保元年(1081)十月に熊野に参詣した際、三栖荘で宿泊しています。王子の名は藤原定家の日記、「熊野道之間愚記」に「ミス山王子」と書かれているのが初見です。承元四年(1210)四月の「修名門院熊野御幸記」でも三栖王子に参拝したことが記されており、承久二年(1220)11月に熊野参詣をした藤原頼資の日記にもこの王子の名が見られます。室町時代頃には、すでに、三栖から塩見坂(塩見峠)越えの道が開かれていましたが、応永34年(1427)9月に熊野参詣をした足利義満の側室、北野殿は、旧来の参詣路を経由しています。その後、退転し、江戸時代に再興されて「影見王子」と呼ばれたようです。明治初年に八坂神社の摂社となり、同11年に一倉神社(現、珠簾神社)境内に移転しました。