八上王子跡
新岡坂トンネルを出ると八上王子跡があります。
   
八上王子跡 案内板から
天仁二年(1109)、に熊野参詣をした藤原宗忠は、10月22日、「田之部」(田辺市)王子に奉幣後、萩生山口で昼食をとり、山を越えて新王子社に参拝しています。この新王子社は地理的に見て、八上王子だと推定されます。西行が熊野参詣の途中に立ち寄り、「待ちつきる八上の桜さきにけり荒くおろすな三栖の山風」という歌を詠み、社殿に書き付けたことで知られる王子社です。西行と同じく、歌人として著名な藤原定家も、建仁元年(1201)4月28日、大風雨の中、修名門院の参詣に随行して、この王子社に参詣しており、王子社名を「八神」と書いています。江戸時代には八上王子社といわれ、拝殿と経堂が設けられていました。明治時代に八上神社となり、現在に至っています。11月23日の例祭で奉納される獅子舞は、県指定の無形民族文化財です。