要害山城 馬谷城本丸からの眺め
  
本丸跡まで来るとあたり一面、ふもとが見渡せる。本丸跡には鯉幟が泳いでいた。地元保存会の方たちのセッティングでしょう。
   
要害山城(馬谷城)跡 説明板より
前方に見える山が通称城山と呼ばれている山である。安宅荘(日置川町)の安宅氏が、明応3年(1494)家臣の吉田春秀に旧生馬村(上富田町)を与え城を築かせた。これが、高瀬の要害山城で馬谷(うまんたに)城ともいわれている。紀伊続風土記に「村の東にあり、上段東西11間(約20m)南北5間(約9m)下段東西7間(約12、7m)南北4間(約7、2m)城主詳ならす」と記されている。白浜町内に残る中世城郭の原形を最もよく残した貴重な城郭である。