水呑王子
 
この王子は平安末期の藤原宗忠参詣記に、、「内水飲王子新王子」とあるように、もとは内飲水といわれ、当時新しく祀られた王子でした。中辺路町高原の熊野道に古くから水飲という所があり、参詣人の宿になっていましたが、それよりも本宮に近いこの地を内飲水と呼んだと思われます。当地は鎌倉時代の参詣記にもその名がみえ、後鳥羽院御幸記には「王子二内水飲」、修明門院御幸記には「内水飲において御小養を儲く」とあります。
ここはもと三里小学校三越分校の敷地でありましたが、昭和48年7月本校に統合され廃校となりました。