祓戸王子
 
説明板から
かつての熊野の山相をうかがわせるイナイガシやクスの大木が繁るこの王子は、他の九十九王子が熊野詣でにおける巡拝、休息、宿泊所であったのとは違い、むしろ潔斎所として熊野本宮で参拝する直前、旅の慶を落し、身づくろいを正す」ための場所であったと思われます。藤原定家は「明月記」の中で「建仁元年(1201)10月16日払暁、発心門を出づ。王子二<内水飲、祓殿>、祓殿より歩み指し御前に参る。山川千里を過ぎ遂に宝前を拝し奉る。感激禁じがたし」とその喜びを記し、その後定家は発心門から来られる後鳥羽上皇の行列を、祓戸王子で出迎えたとしております。