山口王子跡 2008.2
   
この地は、かつて、雄の山口の湯屋といわれていました(現在も湯屋谷という地名があります)。永保元年(1081)9月25日、藤原為房は、ここから国府の南路、日前宮を経由して藤代に向かっています。王子社名は、藤原定家の日記、建仁元年(1201)10月8日条や、藤原頼資の日記、承元4年(1210)4月24日条に見られます。定家は後鳥羽上皇に、頼資は修明門院に随行した時に、日記を書き残したのです。天保10年(1839)に完成した『紀伊続風土記』には、三橋王子とも書かれており、江戸時代には、境内の周囲が32間の王子権現社であったことが知られています。この王子社は明治時代の神社合祀で、山口神社に合祀されました。なお、古代に雄山に置かれていた関所は、白鳥関と呼ばれており、白鳥伝説を残しています。
案内板説明より