叶崎王子跡 2008.2
  
この王子社名は、藤原定家や藤原頼資の日記に見られます。頼資の承元4年(1210)の御幸随行の日記は『修明門院熊野御幸記』と呼ばれます。それによると、承元4年(1210)4月24日、修明門院は紀ノ川を、国司が用意した高欄・水引で飾った船で渡り、「在崎」の行宮に着きます。この在崎は、叶崎(叶前)の書き間違いと思われます。叶前では、紀ノ川の水で身心を清める水垢離を行い、祓いをして王子社に参拝するのが通例でした。江戸時代には、この王子社は王子権現と呼ばれ、付近は森に覆われていたようです。この案内板の北東に、かつて周囲より一段高くなった土地があり、そこに王子権現が祀られていましたが、現在は削平されています。地元の人は、この土地を「オコードー」と呼んでいます。御幸道、あるいは御幸堂のことかと思われます。

案内板説明より