金峰寺 蔵王堂  2008.9
   
創立年代不詳。寺伝によると白鳳年間(7世紀)に修験道の開祖役行者によって創建されたという。金峯山寺は平安時代(794〜1192)からの修験道の隆盛により、天皇家をはじめ公家や武家からの厚い帰依を受け、数多い末葉寺院や広大な寺領を誇っていたと伝えられている。
この本堂は、山上ヶ岳頂上にある山上蔵王堂(大峯山寺)に対して山下蔵王堂と呼ばれ、修験道の霊場である吉野・大峯の中心的伽藍として信仰を集めてきた。文献上では康和5(1103)年に存在したことが確認されるが、現在の建物は、天正20(1592)年に再建されたものである。高さ33.9m桁行7間25.8m、梁間8間27.3mの一重裳階付入母屋造り檜皮茸の木造建築で、修験道の中心寺院として相応しい威容を誇っている。堂内には修験道の本尊である金剛蔵王権現の巨像三体(国指定重要文化財)や役行者などを安置している。堂内の柱は全部で68本あり、一本として同じ太さのものはなく、すべて自然木を素材そのまま使用している。柱の材質も様々で、杉、桧、欅などの他に梨やツツジの柱もあり一定しない。この堂では、本尊に桜花を供えて人々の罪科を懺悔する「花供懺法会(花供会式)」や、神仏を悔ったために蛙の姿に変えられた男が懺悔して、僧侶の法力によって人間の姿に戻されたという伝説に基づいた「蓮華会蛙とび行事」などの伝統行事が、毎年盛大に行われている。

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