比丘尼転び

 
宣旨帰りを過ぎ、しばらく県道を行くと、再び県道から逸れ、山の中に入って行く。比丘尼転びの新宮側はこのように急な木の階段様になっていて、転びそう。
   
比丘尼転び(びくにころび)  案内板の説明から
『紀伊読風土記』川の右に添いて下は骨島より上は小鹿までの間数十歩の険路をいう。最も難所なれば牛馬通路なく、上は絶壁にて下は大川の深淵に臨むを以って土人といえども岩に手を懸けされば越えがたし。『浅里郷』熊野三山から諸国に御師を送り各地に熊野神社を祀っていて、熊野権現から曼茶羅を携えた比丘尼に各地を巡らせて御師の宿を拠点に布教に努めた結果という。或る時任務を終えて熊野へ帰り本宮山へ後1日の所迄辿り着き街道一の難所に差し掛かって一休みしてから難所を越えようと腰を下ろす、女独り旅の緊張がほぐれた安堵と、長途の疲れに襲われて再び立ち上がることは出来ないで、不帰の人になる。里人は懇ろに葬り遺品を本宮権現へ届けたと言う。以来、此の難所を比丘尼転びと呼んでいる。