東の馬留王子跡  2008.3
   
この王子社社を過ぎて南にしばらく行くと山道となり、熊野参詣道の難所、鹿ヶ瀬峠があります。熊野御幸が盛んなころ、上皇や女院、貴族たちは、この峠を越えて熊野に参詣しました。しかし、御幸時代の王子社を克明に記録した藤原定家や藤原頼資の日記には、馬留王子の記載がなく、それよりも新しい王子社と考えられます。江戸時代に書かれた若山(和歌山市)から熊野までの道案内書、『熊野道中記』には、津の瀬王子の次に、沓掛王子、次に鹿瀬山が載せられており、この王子は沓掛王子と呼ばれていたことが知られます。ところが、『紀伊続風土記』では、この王子を沓掛王子と呼ぶのは誤りだとして、馬留王子社と書いています。以降、この王子社は馬留王子社といわれ、明治時代には、馬留王子社となりましたが、神社合祀で、津木八幡神社に合祀されました。

   案内板説明より