内ノ畑王子跡  2008.3
   
建仁元年(1201)10月10日、鹿瀬山を越えた藤原定家たちは、木の枝を伐って槌を造り、榊の枝に付けて「内ノハタノ王子」に持ち寄り、そこに結び付けたのです。建保5年(1217)、後鳥羽上皇と修明門院の熊野御幸に随行した藤原頼資たちも、10月5日に、同じように槌を造り、王子前で「徳あり、徳あり」と声高に言い、弱く貧しい人たちにそれを与えています。祀られている「ツチ金剛童子」にちなんで槌を造り、現世の利益を願ったのでしょう。こうした風習から、この王子社は「槌の王子」ともいわれ、応永34年(1427)9月24日、足利義満の側室 北野殿の先達をつとめた僧実意たちも、風習に従って同様のことを行っています。江戸時代には、隣接地のこの地に移転して、「槌王子社」として祀られ、明治時代に槌王子神社となりましたが、神社合祀で、今熊野神社に合祀され、その後、内原王子神社に合祀されました。

   案内板説明より