高家王子跡  2008.3
   
天仁2年(1109)に熊野参詣をした藤原忠は、10月19日に大家王子社に参拝しています。それからおよそ百年後の、承元4年(1210)、後鳥羽上皇の後宮・修明門院の熊野御幸に随行した藤原頼資も、4月26日に高家王子社に参拝しています。この王子は、江戸時代には若一王子とも称され、萩原村東光寺の地にあったことから、東光寺王子ともいわれています。境内には「長床」という僧の修行場、ないし宿泊施設が設けられており、法華寺という別当寺があったようですが、東光寺との関係は明らかではありません。明治時代に王子神社と改称さえました。本殿は、明治21年に暴風雨で倒壊したため、2年後に再建されています。神社名は、大蔵省管財局の指示で、村の名称を使用して、昭和28年に内原王子神社となりました。なお、旧社地は現在の地よりも北にあったと推定されていますが、詳細は不明です。

   案内板説明より