パラオ日記

2000年(平成12年)の夏期休暇を利用してパラオに行ってきました。ダイバーならパラオと言えばおわかりでしょうが、ノンダイバーにとってはパラオと言ってもピンとこない人もいるかも知れません。日本から南に世界地図をたどると、ちょうどフィリピンの東方にある300以上の島からなる人口約16000人の共和国です。ドイツ、日本、アメリカの統治を経て、1994年に共和国として独立した国です。第二次世界大戦終了までは日本の統治下にあったことから、お年寄りのなかには日本語を話す方も少数いらっしゃいますが、公用語は英語、又現地語はパラオ語(ベラウ語)です。今回の旅行の目的はダイビングではなく、パラオの中村大統領にお会いすることでした。名前からもお分かりのように中村大統領は日系で、おじいさんが伊勢市の出身です。そんな縁で数年前から、夫が所属する伊勢南ロータリーと友好があり、当クラブ亀田氏が中心になり、ロータリーの仲間、家族14人で今回の旅行となりました。パラオでは公共交通機関が発達していないので、貧しい人々とりわけコロール周辺以外の離島の人たちの交通手段がないので、今回亀田、南、玉木、北村、山本氏、宮川中学校が中心となり、自転車を120台パラオに送り、その贈呈式もかねての旅行でした。パラオで過ごした4日間、短くてあっという間に過ぎてしまいましたが、大統領ご夫妻、駐日大使ご夫妻、大統領補佐官、その他パラオ外務省の方にお世話になり、楽しい休暇を過ごすことができました。この滞在を通じて、見聞きしたこと、感じたことを書きました。

8月11日

早朝、パラオ空港に着くとVIPルームに案内され、なんとパラオ駐日大使マサオ・サルバトール氏の出迎えを受けました。大使は休暇中で日本から帰国していたのに午前1時過ぎの早朝からわざわざ空港まで出迎えていただくなんて、恐縮してしまいました。

空港のあるバベルダオブ島、パラオの中心地のあるコロール島、大統領官邸のあるアラカベサン島とは橋で結ばれています。その日は疲れている体にムチ打って、ダイビングをしました。ガイドの話によると台風の影響で波が高いそうで、外洋に面したポイントには行けませんでした。

8月12日

私たちの宿泊しているホテル、PPRで、大統領主催の朝食会がありました。この場で自転車の目録の贈呈式、大統領へのプレゼントをしました。時間になると大統領がリンカーンに乗ってホテル玄関ロビーにみえました。私たちは整列して出迎えましたが、特にホテル従業員の出迎えはありませんでした。

中村大統領と夫

大統領はホテルに入ると自ら私たちをレストランに案内してくれ、気さくににこやかに迎えてくださったので、緊張もほぐれ、色々お話もできました。このHPのURLもしっかり大統領に伝えておきましたので、今頃見ていてくれるのでしょうか?パラオからは大統領とマサオ大使が出席しました。特別の警護があるわけでもなく、大統領が一般客に混じって朝食のバイキングを取りに行ったのにはお国柄とはいえ、あまりの違いにただビックリ!!日本では考えられませ〜ん。中村大統領は2期連続で大統領を務め、次回の選挙には立候補はできないとのことですが、この前の2人の大統領はいずれも暗殺されていると聞きました。これを見ても大統領の自分がパラオのためにしてきたことへの自信の一端を垣間見たような気がしました。朝食後は大統領が用意してくれた専用マイクロバスでコロール市内見学に出かけました。マサオ大使と外務省勤務のマルタさん(女性)がやはり付きっきりで案内してくれました。夜は大統領のご招待で、コロール市街にある大統領の弟さんの経営するレストランで夕食。パラオからはマサオ駐日大使、外務省勤務のマルタさん、テンビルさんが同席。マグロの刺身もご馳走になりました。そして帰りはホテルまでマサオ大使の奥さんが車で送ってくれました。彼女は病院職員でがん協会関係の仕事をしているので、大使は単身赴任とのことでした。このため皇居などでレセプションがあると、彼女はそのたびに日本に来るそうです。お子さんは二人いて、上のお子さんはアメリカの大学に留学中。パラオにはカレッジはありますが、総合大学はなく、アメリカや日本に留学することが多いとのことでした。夕方ホテル前のビーチでダイビングをしました。

8月13日

今日は大統領のご招待で、ペリリュー島観光、カープ島でのバーベキューパーティーがありました。ペリリュー島は大統領の出身地です。アラカベサン島(PPR桟橋)からボートで1時間程南に走り、ペリリュー島に上陸しました。コロールは坂道が多いのですが、ペリリューは平坦な島で、内地はまだ熱帯雨林に覆われていました。

このエクスカーションには大使ご夫妻、マルタさんご夫妻、お子さん、その他政府の方が2人同行してくださいました。バスに乗って観光をしましたが、この島は第二次大戦の激戦区だったことから、旧軍事施設を観光しました。ちょうどスコールに見舞われ、熱帯雨林の未舗装の道路はぬかるみとなり、バスは木々の間をぬうように進んでいきました。
戦没者墓地(ペリリュー島)

戦没者の墓、旧日本軍の滑走路、管制塔、司令室、放置された戦車など五十数年経った今も熱帯雨林のなかに埋もれるように存在していました。16000人の日本兵が参加し、12000人の戦死者が出たとのことです。連合軍の死者は4000人とのことです。
旧日本軍司令室(ペリリュー島)
一同当時の激戦と遠く離れた異国の島で戦死した人々のことを思い、静かに冥福を祈りました。ここからボートで少し北へ行った所にカープ島があり、ここで大統領夫妻が出迎えてくださいました。ハイビスカスの花が咲き乱れるリゾートで、海辺で南国のひとときをゆっくり過ごしました。

大統領が午前中に釣った魚の刺身も食膳を賑わしました。食べ物にハエがたかっているのを、大統領自らうちわで追い払ってくれたり、肉や魚を焼くのを色々指示したり、本当に心からのもてなしに感激しました。帰りには途中の島に寄ってシュノーケリング。
大統領ご夫妻と

中村大統領ご夫妻(カープ島)

駐日大使夫人、マルタさんと

ムラサメモンガラ、ギンガハゼ、エビ、アケボノチョウチョウウオ等の色とりどりの熱帯魚が、それも成魚をそのまま小さくしたミニチュア版の海の中でした。夕方にPPRにもどりました。この時、大統領は桟橋をさっさと一人で歩いて、横に待っていた4WDのドアを自身で開けて乗って去っていかれました。本当に気さくで飾り気のないいいおじさんという感じで、その人柄に大変好感が持てました。

8月14日

午前中はゆっくりして、午後にセスナで空からロックアイランドを遊覧しました。天気は雲が多くて今一でしたが、絵にかいた箱庭みたいで、コバルトブルーの海がきれいでした。夜大統領主催の晩餐会の予定でしたが、大統領が会議、会議で過労気味で体調を崩したとのことなので、場所を変更して、PPRで夕食会となりました。

セブンティアイランズ
パラオ側からは大統領特別補佐官、テオドール・テッド・アイタロウ氏、大使ご夫妻、マルタさんの4人が出席されました。アイタロウさんは大統領と同じペリリュー島の出身。日系人かと尋ねたら、日本占領下で、パラオでは日本名と本来の名と2つの名前が付けられのだと説明してくれました。もちもん今ではパラオ人の名は1つ。大使のマサオという名は生まれた時、医者であるおじさんの名をもらったと言っていました。この席でもパラオの事情につき色々うかがいました。この2年間でコロール周辺の車の数は2倍になり、コンピューター、インターネットの普及も著しい。美しい海と自然を生かし、観光に力を入れている。道路の舗装や電気の供給も進んでいる(ペリリューではやっと今年から24時間電気の供給が可能になった)。

公務員の給与は月600US$、民間サラリーマンの給与は月400US$、ホテルの給仕等は300US$ぐらい。等々・・・大統領からフルーツバットのバーベキューが届いたが、これは高級料理で普段はなかなか食べられないと。1匹100US$と聞き、パラオ人の給与を考えると多いに納得できました。大使からは皆にTシャツをもらいました。
フルーツバットのバーベキュー

大統領特別補佐官愛太郎さんと

8月15日

早朝パラオを出発して、日本へ。

こんな訳で、ダイバーズパラダイスパラオの旅でしたが、ダイビングはあまりできませんでした。でもそのかわりに今まで経験できなかったような、そしてこれからも経験できないかもしれないパラオの人々の気さくな心暖まるもてなしにいい思い出を持って日本に無事帰ることができました。

音楽 Paradise Cafe

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