撮影者の略歴   

 

1948年生 医師
1973年 名古屋大学医学部卒業
愛知県がんセンター、ロンドン大学留学
愛知医科大学などに勤務
1988年 スキューバダイビングCカード取得
1989年 夫とともに内科を開業

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ダイビングの話

 

スキューバダイビングを始めて早10年以上、最近は水中写真も撮るようになり、作品も少したまってきたので、まとめてみることにしました。そこで、はじめに私のダイビング歴をお話ししようと思います。私がダイビング認定証を手にしたのは、昭和63年(1988年)ちょうど40才になった秋でした。当時、名古屋市昭和区に住んでいて、家のすぐ近くのABIXという中京テレビの経営するスポーツクラブに通っていました。当時はまだバブル最盛期で、ダイビングブームに火がつこうとしている時で、このクラブでもダイビング講習が始まりました。ここにはダイビング用のプールが早くからあり、水泳をしたついでに、よくそのプールで遊んでいましたので、早速ダイビングも始めようと、若いお嬢さん方に混じって講習を受けたわけです。海洋講習は北陸の越前海岸でしたが、それが大変で、今でもよく覚えていますが、マスクスクランブル(海底で水中マスクをとり、一ヶ所に集め、その中から自分のマスクを取り出し、再び装着する)の時、もう息ができないような錯覚に陥り、緊急浮上しました。これでもう認定証はもらえないと思っていたら、数週間して送られてきましたので、その時は本当にうれしかったです。インストラクターはK.O.さん、認定団体は、A.D.S.JAPANC.M.A.S.でした。当時、そのクラブ会員のダイビング仲間で“バブルス”というサークルを作り、時々ファンダイブに行っていました。この会員の中には若い方の他に私と同年輩かもう少しお年をめしていらっしゃる熟年ダイバーのおじ様たちが数人いて、楽しくダイビングをさせていただきました。その後、平成1年、父の跡を継ぐため、三重県に引っ越してからは、しばらくダイビングから遠ざかってしまいました。その頃ちょうど会員制リゾートエクシブ鳥羽にダイビングハウスが開き、夫がエクシブ鳥羽の会員になったこともあって、時々そこからのダイビングツアーに参加させていただくことになりました。水中写真を撮りはじめたのは、平成5年(1993年)頃で、最初は「フジカラー写るんです」で撮っていましたが、どうも見た像と出来てきた写真が違っていて、がっかりすることがしばしばありました。そんな頃二見で写真館をしていらっしゃるダイバーとバディーを組ませていただき、その時、一眼レフのカメラを勧められました。そして手にしたのがニコン50Fとそのハウジングでした。レンズはNikon AF  Nikkor 24-50mm,ライトはNikon SB-23で、ハウジングはD.I.V.製です。ところが、最初にお話しましたように、私のダイビングの腕前は、年数だけは経っていても、まだ初心者同然でして、潜降すらおぼつかないのに、カメラを持って写真を撮ろうというのですから、それはそれは大変でした。でも、写真を撮ってみると、今までエグジットしたとたんに、魚はきれいだったけれど、どんな魚だったかすぐ忘れてしまっていたのが、後で写真を見て、名前を調べ、その魚の特徴、生育環境にも目が向けられるようになり、ダイビングの楽しみが倍増したようです。その後アドバンスコース(PADI)を平成9年(1997年)にとりましたが、腕前は相変わらずです。いっしょにダイビングをしていただいた方、インストラクターのS.S.さん、H.I.さんには随分ご迷惑をかけていると思います。迷惑をとおりこして、多分呆れておられるのではないかと思います。そんな風にして撮った写真の中にも、少しですが、気に入ったのが出てきましたので、まとめて図々しくもホームページを作りました。「こうしたらもっといい写真が撮れる」から「この魚の名前違っているぞ」まで何でも結構です。お暇がありましたら、ご意見をお寄せください。又ダイビング上達法についてもよろしく。

平成12年(2000年)6月に105mmのマクロレンズを初めて使用しました。その後シグマ28〜80mmズーム、15mmフィッシュアイも使用していますが、2003年11月に宮古島で、ちょっとした不注意からカメラが水没。それが魔王の宮殿で・・・初対面のアケボノハゼ、ムラサキウミコチョウをカメラに収めることができませんでした。
これを機に最近すごい勢いで進歩してきたデジカメ(オリンパスC-5060)を購入して銀塩カメラとデジカメで撮ろうと思っています。オプションでワイドコンバージョンレンズをつけると広角撮影も楽しめるので楽しみです。果たしてうまく両刀使いこなせるかどうか?

音楽 Paradise Cafe