フィジー

せっかく海外まできたんですもの。ダイビングだけじゃなくって、その国のこともちょっと知っていると楽しさも倍増!!

 

フィジー Fiji 南太平洋西部、ニュージーランドの北方にある共和国。正式国名はフィジー共和国。300以上の島や小島からなり、そのうちの約100が無人島である。総面積は18274km2。人口は80万人(1996年推計)。首都はビティ・レブ島にあるスバ

国土と資源

主島はビティ・レブ島とバヌア・レブ島で、この2島で総面積の85%以上を占める。そのほかのおもな島はタベウニ島、カンダブ島、コロ島などで、さらに西側のヤサワ諸島、東側のラウ諸島や数多くのサンゴ礁島がコロ海をかこむ。北西にはロトゥマ島がある。大きな島は火山活動によってできたもので、最高点はビティ・レブ島のトマニイビ山(1323m)。山あいの谷間を多くの川がながれ、下流域は肥沃(ひよく)な沖積土におおわれる。2つの主島の周辺に位置する小島はサンゴ礁と石灰岩からなる。

気候は熱帯性で、南東からの貿易風のために高温である。年平均気温は25C。雨も多く、年降水量は平均2540mmに達する。天然資源は密林に植生する軟木と硬木、金とマンガンの鉱床である。

住民

人口密度は1km2当たり約44人。1993年における人口構成はフィジー人50%、インド人45%となっている。主要港のある首都スバ(人口71608人、1986年)は最大の商業中心地である。主要な町はラウトカ(28728人)、ラミ(8601人)、ナディ(7679人)など。住民の約半数がキリスト教徒で、メソディスト派とカトリック教徒が多数を占める。ほかにヒンドゥー教徒38%、イスラム教徒8%で、少数だがシク教徒もいる。主要言語はアウストロネシア語族のフィジー語、ヒンディー語、英語。68年に南太平洋大学がスバに創設された。

経済

おもな農産物はココヤシ、サトウキビ、ショウガ、米、カカオ、コーヒー、トウモロコシ、バナナ、サツマイモ、カバ、タロイモ。家畜は牛、ヤギ、豚が中心。産業用施設として、砂糖、ココナッツ油、ツナ、米などの加工工場、コプラの乾燥所、パイナップル工場、乳製品工場、ビスケットと紅茶の工場がある。マット、バスケット、釣り用の網、陶器など工芸品の生産も盛ん。建築、造船、漁業もおこなわれている。

輸出高は年間約72100万ドル、輸入額は96900万ドル(1996年)にのぼる。おもな輸出品は砂糖、金、魚、ショウガ、ココナッツ油など、おもな貿易相手国はオーストラリア、ニュージーランド、イギリス、日本などである。観光業も外貨獲得に重要な役割をはたしている。通貨単位はフィジー・ドル。ビティ・レブ島のナディ国際空港は太平洋横断航路の補給空港となっている。

政治

1970年の独立から87年まではイギリス連邦に加盟し、立憲君主制をとっていた。87年の軍事クーデタで共和制に移行し、90年に公布された新憲法によって議会の議席数などでフィジー人の政治的優位が法制化された。元首は大統領で、任期は5年。議席数は上院34、下院71(フィジー人23、インド系19、その他の少数民族4、民族を特定しない議席25)である。上院はフィジーの伝統的な部族長による代表者会議である部族長大評議会の指名にもとづき大統領が任命、下院は直接選挙によってえらばれる。任期はいずれも5年。

歴史

1643年にオランダ人航海探検家タスマンが渡来し、1774年にはイギリス人探検家クックが最南端のタートル島を踏査した。1874年にイギリスの保護領になり、81年にはロトゥマ島が併合される。イギリスはサトウキビ・プランテーションの開発のため、18791916年の間に6万人余りのインド人労働者を入植させ、砂糖生産が盛んになった。第2次世界大戦(193945)中は連合軍の補給基地になり、空軍や海軍の基地が数多く建設された。フィジー人は大戦中イギリス軍に従軍している。

フィジーは19701010日にイギリス連邦の一員として独立し、同年1013日に国際連合に加盟した。初代首相にはフィジー人で同盟党の党首マラが就任し、87年まで政権を維持した。同年4月の選挙後、インド系住民が支持する国民連合党が労働党と連立政権をくむと、インド系議員の入閣を不満とするフィジー人の間に反感が高まり、軍事クーデタが勃発(ぼっぱつ)。同年9月、クーデタをひきいたランブカは共和制移行を宣言し、12月にはランブカの任命によりガニラウ前総督が初代大統領に就任した。

1992年、新憲法のもとで下院選挙がおこなわれ、ランブカが首相に選出された。94年にはガニラウ大統領の死去にともない、マラが部族長大評議会から大統領に任命された。94年の総選挙で首相に再任されたランブカは、議会の人種別議席の割り当てなどは人種差別だとの批判にこたえて憲法の見直しに着手。97年に、フィジー人の政治的優越をさだめていた90年憲法が改正された。それによると、首相をフィジー人に限定していた条項が削除され、インド人やその他の少数民族も首相や閣僚になれる道が開かれ、また従来37であった下院のフィジー人の割り当て議席が23になったことにより、自動的にフィジー人が過半数を占めることもなくなった。

 

 

 

 

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