パラオ共和国
せっかく海外まできたんですもの。ダイビングだけじゃなくって、その国のこともちょっと知っていると楽しさも倍増!!
パラオ
Palau 西太平洋、フィリピンの東方約800kmの赤道付近に位置する共和国。正式国名はパラオ共和国。パラオ語では「ベラウ」。カロリン諸島のパラオ諸島を領域とする。およそ200の島々からなり、総面積は約508km2。人口は約2万人(2005年推計)。首都はバベルトゥーアプ島マルキョク州。2006年10月7日に旧首都コロールから遷都した。パラオ共和国の国旗 | パラオ松島 |
国土と資源
パラオの島々は裾礁にかこまれている。南北
160km以上、東西約30kmの海域に点在する群島のうち、比較的大きな9島に人がすむ。最大のバベルトゥーアプ島は、面積409km2余りで、コロール島と橋でむすばれている。そのほかにアンガウル島、カヤンゲル島、ペリリュー島などに人がすむ。規模の大きな島々は火山性で、肥沃(ひよく)な土壌と豊かな水にめぐまれている。南端の小さな島々は、サンゴが隆起してできたものである。気候は熱帯性で高温多湿。季節の変化はほとんどなく、年平均気温は
27.5ーC、年降水量は3800mmに達する。魚類など海洋生物は豊富だが、陸生の動物はほとんどみられない。住民
パラオの人口
2万人のうち、3000人は国外からの労働者で、大半はフィリピン人である。人口の約70%が集中するコロール島は、島全体が都市化されている。ほかの住民は8つの有人島の小さな村落に分散してすむ。住民の大半はミクロネシア諸語(→ アウストロネシア語族)の一種であるパラオ語を話し、公用語である英語ももちいる。住居や衣服はおおむね西欧風で、自動車や船外発動機をはじめ多様な消費財が、主として日本から輸入されている。食糧の大部分は輸入にたよっている。大部分がキリスト教徒で、国民の
40%がカトリック教会、25%がプロテスタント各派の信者である。「モデクゲイ」とよばれるパラオ固有の宗教を信仰する住民もいる。義務教育は6〜14歳で、教育費は無償。高校は公立校が1校、教会系の私立校が多数ある。大学はないが、ミクロネシア職業訓練校が1969年に創立された。日本が統治した時代(
1914〜44)の神社がのこり、コロール島には植物園やパラオ博物館がある。経済
パラオの経済活動は、おもに自給的な農業と漁業で、観光業も大きな位置を占めるようになった。産業基盤の整備はおくれているが、日本や台湾の投資家に注目されている。漁業や観光関係の事業は、外国資本によるものが大部分である。シーフード、コプラ、手工芸品などが輸出されるが、輸出額は大きくなく、国民の生活は日本やアメリカからの輸入に依存している。基本通貨は米ドル。
パラオには日本やアメリカからの貨物船が頻繁に来港する。空港は
3つで、最大のパラオ国際空港はバベルトゥーアプ島にある。バベルトゥーアプ島には唯一の国内線航空会社パラダイス・エアーがあり、ペリリュー島やアンガウル島まで定期便が就航している。国外へはグアム、日本、マニラへの便が週に数便ある。公共の輸送機関はなく、1994年の道路の総延長は61kmだが、舗装の状態はよくない。政治
パラオの政体はアメリカの制度を模した大統領制がしかれ、大統領は
4年任期で、最高2期までつとめることができる。ほかに副大統領1名と閣僚8名がいる。パラオ議会は二院制、議員定数は上院9名、下院16名で、議員は4年ごとに改選される。裁判官の任期は無制限で、議会の承認をへて大統領が任命する。2人の最高部族長に対し、国政に助言する権利があたえられている。歴史
最初の住民は、
3000〜4000年ほど前に東南アジアの島々からやってきた移住者と考えられる。1710年にスペイン人が、ヨーロッパ人としてはじめてパラオに上陸した。83年にイギリス船がパラオ沖で難破し、ヨーロッパの病気がその免疫のないパラオ住民に伝染したため、5万人いた人口が約5000人にまで減少している。1899年にドイツがスペインから買収、統治したが、第1次世界大戦中の1914年に日本軍が占領、第1次世界大戦後の19年からは、国際連盟の委任統治領(→ 南洋委任統治領)として日本が統治。日本はコロール島にミクロネシア地域の司令部をおき、コロール島を都市化するとともに、南洋神社をたて、日本から1万人をこえる植民者をおくった。このため日本人と朝鮮人労働者が、数のうえでパラオ人をうわまわるようになった。第2次世界大戦中の44年、アメリカ海軍が侵攻し、激戦がくり広げられた。大戦後、日本が統治していたミクロネシアの島々のほとんどがアメリカ領になり、パラオも
1947年に、国際連合の信託統治領太平洋諸島(→ 信託統治)としてアメリカの支配下におかれた。この間に民主制度とアメリカ式教育が導入されたが、経済的な成長はほとんどみられなかった。1993
年11月の住民投票の結果、アメリカと自由連合協定をむすんで独立国家となることが承認され、94年10月1日、独立を宣言した。自由連合協定でパラオ政府は防衛以外の内政と外交をおこない、アメリカ政府は防衛上の責任をおい、軍事基地などもひきつづき維持している。この協定では、パラオ人がアメリカ国内で居住、就労する自由をみとめている。94年12月15日、パラオは国連に加盟した。
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